2014/9/25(木) 「器との出会い、人生の転機」

2014年5月29日(木)

「器との出会い、人生の転機」

塗師 赤木 明登氏

【プロフィール】

塗師。1962年岡山生まれ。
中央大学文学部哲学科卒業、編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修行。
1994年に独立。現代の暮らしに息づく生活漆器=「ぬりもの」の世界を切り開く。
1997年にドイツ国立美術館「日本の現代塗り物十二人」展、2000年に東京国立近代美術館「うつわをみる 暮らしに息づく工芸」展、2010年に岡山県立美術館「岡山 美の回廊」展、2012年にオーストリア国立応用美術博物館「もの 質実と簡素」展に招待出品。
著書に『漆 塗師物語』〈文藝春秋〉、『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』〈ともに新潮社〉、共著に『茶の箱』〈ラトルズ〉、『毎日つかう漆のうつわ』〈新潮社〉など。各地で個展を開くほか、「ぬりもの」を常設展示しているお店が全国にある。
www.nurimono.net

「角偉三郎との出逢い、人生の転機」

器には、人の暮らしに与える力があると思います。僕自身、ある一つの器と出逢ったことによって人生をガラリと変えられてしまいました。
僕が「角偉三郎」という漆芸家と出逢ったのは今から30年ほど前、大学を卒業して出版社に就職し、編集者として働きはじめた頃でした。
ある日、東京日本橋の美術画廊で角偉三郎が展覧会をしていると聞き、彼のことも漆のことも何も知らずにその展覧会場へ足を運びました。僕はそこに並べられた角さんの作品を見て、ものすごく感動をしました。考えてみれば全部ただの物質、モノにすぎません。それなのに、例えばお椀に口が付いていて今にも僕にしゃべりかけてきそうだったり、重箱が深いことを考えながら胡坐をかいてドカンと座っているようだったり、お盆が「ここにいるぞ」と訴えかけてきたりしているような気がして、そのモノの持つ生命力に圧倒されました。それで展覧会場に延々といたところ、夕方頃に作者本人の角偉三郎が現れて一緒に飲みに連れて行ってもらうことになりました。
角さんのお酒の飲み方というのがまた素敵で、子犬がじゃれあってくるくる遊んでいるかのようでした。僕の手を取って「赤木君、漆っちゃ何やろうね」と問いかけてきたのですが、その手がすごく柔らかくて温かかったのを覚えています。その時、角さんを訪ねに輪島へ行こうと思いました。それからしばらく経って、実際に角さんを訪ねて輪島に行きました。そこではまた角さんと飲んだのですが、僕はべろべろに酔っぱらって、気が付いたら「僕は輪島に行って漆職人になる」という話をしていました。

「器の生命力」

民芸の創始者・柳宗悦による「手仕事の日本」という本の中に、輪島塗のことが書かれています。柳は昭和15年に輪島に来ているのですが、「輪島の塗り物が良かったのは幕末から明治の始まりにかけてである。輪島にいる職人は形を工夫し、もっと生き生きとしたものにしなければならない。」そして「今は衰える一方である」と書いています。なぜこのように書いたのでしょうか。それは、当時柳には確かに見えていた美しい輪島塗の世界が、産地の職人さんには見えなくなってしまっていたからです。柳には見えていたこの形を、もう一度どうにかして甦らせないと、産地は駄目になってしまうと思います。
僕が30年前に初めて出逢った角さんの器も、ものすごく生き生きとしていて生命力を持っていました。この生命力は、人の心を動かしたり人の暮らしを変えたりする力を持っていると思います。では、その力は一体どこから来るのか。そして柳が見ていた「何か」とは、一体何だったのか。それを理解することが、器を見る上で一番のポイントになると思います。

「器の形と職人の仕事」

今、うちには約8000点の古い漆のお椀がありますが、古いものをずっと見ていると、それがどうしてそのような形になったのかが分かってきます。形というのは、突拍子もないところからいきなりその形にはなりません。その形になった理由が必ずあります。器の世界では今、そのことがほとんど忘れられてしまっているのですが、職人は器の形の根拠をきちんと理解し明確にした上で、形にしていかなければならないと思います。
お椀の輪郭は左右対称で、一本の線でできています。その丸みや口の開き方をちょっと変えるだけで美しさや魅力はどんどん変化していきます。その中で、一番いい形を追求していくことが職人的な仕事だと思います。根拠を忘れて、形を付け加えていくのはどちらかというとアーティストや作家の仕事です。職人の仕事は器の生命力につながっています。柳には、器の形が受け継がれるDNAラインがきちんと見えていたし、職人的な仕事がどんなものなのかを理解していたのだと思います。